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日本と世界の歴史散策


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(6)隣国との関係 OWL のひとりごと

i )過激な隣国と日本( I )お隣りの本音

お隣りの本音 2010.11.7


by OWL




お隣りの本音

 隣家と境界線に関する争いを好んでする人はいない。国内なら法律があり裁判所もある。しかし国と国の間ではどうか。古来より、力ずくで奪ったり奪い返したりだった。モノを言うのは腕力。軍事力がなければ、不幸を嘆きつつ領土を盗られても泣き寝入りである。


 ただ、日本人はそう思っていない。十九世紀までならいざ知らず今の日本で、境界線を巡って隣国と「もめ事」になろうとは!今回の尖閣諸島を巡る中国の一連の主張は、多くの人々にとって青天の霹靂にも等しい出来ごとだっただろう(脚注1)。


 特に、明治政府時代の外交政策を拡張主義的だったと批判し、戦争責任を一身に背負って贖罪意識に染まり切った我々にとっては、驚くべきことだった。


 また特に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して「安全と生存を保持」しようと決意した(脚注2)日本人にとっては、とうてい理解できなかった。つまり「悪いのは自分で隣国は善意である」ことを信じるよう条件づけられた私たちにとっては。


デモからわかる中国の本音


 海上保安庁の巡視船に激突して来た中国漁船乗組員を悪質として逮捕拘留している間、中国政府は強硬に日本を非難し続けた。船長以外を釈放しても収まらず、宣戦布告じゃあるまいし駐中国大使が深夜に呼び出され脅された。


 あげくの果てに、国連総会出席のためにニューヨークを訪れていた温家宝中国首相は、記者団に向かってまなじりを吊り上げ強い口調で言った。「即時無条件釈放を!」と。私たちは何故それほどヒステリックになれるのだろうといぶかった。


 ところが、その翌日という最悪のタイミングで、日本は船長を釈放してしまった。圧力と恫喝に屈する国という印象を世界にまざまざと残した。


 しかし、中国の強硬姿勢は収まるどころか、翌日には謝罪と賠償を日本に要求する始末(脚注3)。おまけに反日デモまで広がった。一部は暴徒化し日本車をひっくり返す、日系店舗に投石するなど先鋭化した。


 私たちは戸惑う。「何故、日本だけが標的になるのか」「私たちは何か悪いことをしたのか」「善意のカタマリであるはずの隣国人がそこまで怒るのは、こちらにどんな落ち度があるのだろう」「向こうの言い分にどこまで耳を傾けるべきなのか」と。


 あるいは身内で犯人探しをして政府を攻撃する。「弱腰だ」「三国干渉に屈した時に匹敵するほどの国辱だ」と。


 デモ隊の掲げる横断幕について次のように解説する記事が目についた(脚注4)。紹介する。戸惑いを隠せない私たちに大事なことを教えてくれている。


図1 四川省成都の反日デモ(脚注5)

「また中国各地で反日デモが起きた。デモの主体は20歳代前半のネット右翼である。インターネットやショートメールの『釣魚島(尖閣諸島の中国名)を防衛せよ』というメッセージに興奮し、日系のスーパーや日本車に投石した。


 暴れ回る若者たちは反日デモの本当の正体ではない。


 四川省成都で起きたデモの写真(東京本社版は17日朝刊社会面)を見れば分かる。先頭に道幅いっぱいの横断幕が3列。横断幕を持つ約20人がデモの中核部隊だ。その後ろから続く烏合(うごう)の衆とは違う。統制のとれた集団である。


 ネット画像で横断幕の文字が読める。


 第1列は『国恥莫能忘 民族当自強』(国恥忘るなかれ。民族自強せよ)
 第2列が『収回琉球 解放沖縄』(琉球を回復せよ。沖縄を解放せよ)
 第3列が『抵制日貨!』(日本製品ボイコット!)


 これ(この三つの横断幕の主張:引用者による補足)が(デモ隊の:引用者による補足)正体である。2番目の琉球沖縄回復は、蒋介石の怨霊(おんりょう)の声である。


 第二次世界大戦の直後、蒋介石は、台湾だけでなく沖縄本島を含む琉球諸島も日本から取り返せると思った。


 ところが、サンフランシスコ平和条約では日本の領土放棄は決まったが、米国は琉球を統治下に置き、台湾の帰属は『アンデターミンド(地位未定)』。蒋介石は激怒したが、逆らえなかった。


 1972年、米国は沖縄を日本に返還する。台湾は『地位未定』なのに、中国の朝貢国だった琉球を日本に返還した。しかも台湾の一部である釣魚島まで


 −−そこで始まったのが『保釣』(釣魚島防衛)運動である。在米の台湾系中国人留学生による反米運動だった。たちまち香港、台湾の学生に広がった。これが現在まで続いている。


 北京は蒋介石と同じ立場である。1971年、米中正常化のためにキッシンジャーと会談した周恩来は、蒋介石の言い分を借りて米国に台湾地位未定論の撤回を迫っている。(『周恩来キッシンジャー機密会談録』毛里和子、増田弘監訳、岩波書店)


 周恩来は台湾の地位未定論に屈した蒋介石を『売国』と言った。デモのスローガンである『国恥』とは、これを指すのである。


 さらに、地位未定論をあいまいにしたまま『主権棚上げ・共同開発』で日中平和友好条約を結んだトウ小平と、その系譜を引く『戦略的互恵関係』の胡錦濤国家主席だ。


 今現在の『国恥』とは、東シナ海の日中共同ガス田開発だろう。共産党の保守派、軍部に蒋介石の怨霊が乗り移り、トウ小平路線にかみついている。本当に深刻な党内路線闘争である。(専門編集委員)」


 これがまず気付かせてくれるのは、中華人民共和国が尖閣諸島はおろか沖縄に対しても本気だということである。「解放」の意味するところは、チベットや東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)と同じで、つまりは共産党人民解放軍による侵略と制圧である(脚注6)。


 二つ目は、そういった将来を本気で心配している日本人がどれだけいるのかという危惧である(脚注7)。また、そういう心配を表明する人たちの意見が、即座に「右翼」「強硬派」というレッテルを貼られて、封殺されてしまうのではないかという怖れである。


 あるいは、信じたくはないが、日本人の中に中国の言い分をまともに受け入れる人々がいる。彼らは、沖縄が日本の固有の領土であるという主張すら退ける。結果として、中国による「沖縄解放」を手引きすることになるのではないかという心配である。


 反対に、隣国の強硬姿勢が「日本の極端なナショナリズムに火をつける」という心配にも気付かせてくれた。それが第三のおそれである。隣国に対して強く出る人々の意見の行き着く先はどこなのか。


 ともかく、現在の国際秩序を軍事力に訴えてでも変えていこうという国が何とすぐ隣に居る。そういった事実を前にして、私たちはどのように備えていったら良いのだろう。(つづく)




脚注


1)歯舞、色丹、国後、択捉の四島からなる北方領土、島根県壱岐の島の西北一五七キロメートルにある竹島は、残念ながらそれぞれロシアと韓国に実行支配されている。日本人としては、武力ではなく話し合いによって、あるいは国際司法裁判所に訴えて、平和的に日本に返してもらおうと考えるだろう。ところが、日本が実行支配している尖閣諸島について隣国がどう思っているか。何故あそこまで強硬に出られるのか。今回は、それを私たちが知ってビックリ仰天したというところである。
2)日本国憲法前文。
3)巡視船の修理代は国民の税金によってまかなうことになるが、政府は中国に謝罪と賠償を一切要求しないらしい。非常に冷静で抑制された大人の対応だ。
4)http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/:金子秀敏、毎日新聞、木語:反日デモ、正体見えた。
5)中国四川省成都で繰り広げられた反日デモ。先頭約20人の中核部隊が持つ三つの横断幕、
『国恥莫能忘 民族当自強』
『収回琉球 解放沖縄』
『抵制日貨』が見える。
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/china/101017/chn1010171038001-p4.htm
6)あからさまに軍隊を使って攻める形はとらないだろう。ネット上には次のようなシナリオが喧伝されている。
「漁民に偽装した大勢の民兵が潜水艦などに乗って近づき、夜陰に乗じて尖閣諸島に上陸する。日本政府が躊躇している間に武装した民兵が中国の実行支配を現実化させる。日本の海上保安庁や警察権力が実力で排除しようにもできない状態を作り出す。自衛隊を派遣すると『民間人』保護の名目で義勇兵(実は中国共産党人民解放軍)が派遣され、武力衝突が起こる。」また、
「沖縄に沢山の中国人を送り込み中国人社会を拡大させる。日本国籍を取得したり沖縄地方議会に中国系議員を多く当選させたりする。中国人にとって住みやすく、もともと沖縄にいた人々が住みにくい環境をつくる。大量に移住させた人々に沖縄独立を叫ばせ、琉球王国が明や清に朝貢していた頃に戻させようとする(彼らの言う現状復帰)。時間はかかるかもしれないが、沖縄は日本からの独立を宣言し、やがて中国は沖縄を自国に編入する。」
 これらのことは、あながち荒唐無稽な想像と片付けられない。そう思ってしまうほど中国の姿勢は強硬だった。
7)事実、「島の一つや二つくれてやれば良い」と平然と言ってのける日本人すらいる始末である。「尖閣諸島に自衛隊常駐を!」と主張する人々がいるのとは、全く好対照をなす。




(3742文字)






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i )過激な隣国と日本( II )配慮の功罪

配慮の功罪 2010.11.13


by OWL




配慮の功罪

尖閣諸島に関わる諸問題


 尖閣諸島を日本が実行支配しているとはいっても、石垣島の漁民が尖閣諸島沿岸へ漁に出向くことはないらしい。中国や台湾の警備艇に拿捕される恐れがあるからだそうだ。近くの排他的経済水域であってもなおのこと、漁など出られたものではない。


 ところが中国の漁民は日本の領海に入っても拿捕されるどころか安全である。今回のように故意にぶつかるなどカゲキなことをしても釈放されるだけ。帰国すると英雄扱い。


 一九七〇年頃の国連海洋調査で、尖閣諸島および東シナ海にイラク一国分の埋蔵量に相当する石油および天然ガスが眠っていることがわかり、台湾や中国が慌てて尖閣諸島の領有権を主張し始めた。


 そういった資源開発の面においても、日本政府は腰を据えた行動を全く起こしていない。中国が先行して東シナ海のガス田開発を行ない、日本は共同開発を提案するが交渉は難航。日本側の排他的経済水域でのガス田開発すら日本政府は日本企業に許可していない。


 尖閣諸島に日本人が上陸することにも慎重で、許可が必要とされているようだ。漁船が衝突してきた際のビデオが動画投稿サイトに流出して日本政府も国会も混乱しているが、早い段階で公開に踏み切らなかった政府に対して、国民から失望と怒りの声が上がっていた。


図2 尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁巡視艇「みずき」に体当たり

 すべては相手を刺激しないようにという配慮からだろう。しかし、たとえば動画を流出させた人が逮捕され罪に問われるとしたらどうだろう。尖閣諸島に上陸して逮捕され罪に問われる人がいるとしたらどうだろう。


 中国人の危険で悪質な不法行為は全くお咎めなし。他方、日本人は罪に問えるかどうか意見の分かれるほどのことで厳しく罰する。まさにパロディーかブラックジョーク。それ以外に言いようがない。国民はさらにやりきれない思いを抱えることになる。


 残念ながら、日本の実行支配など絵に描いたモチのように見える。政府は国民とその経済活動の安全と将来を本気で守ろうとしているのだろうか。そういった態度は、隣国から見透かされ歓迎され、大いに侮られているのではないか。そう心配されている。


カゲキな言動に向き合うには


 別の角度から、つくづく考えさせられることがある。反日デモで「琉球回収」「沖縄解放」などの挑発的なスローガンを掲げたり、暴徒化してカゲキな行動をとったりするのは勇気ある人々だろうか?本当に勇気があるのは決して彼らのことではないだろう。


 彼らが叩くのは、自分たちが処罰されたり命の危険にさらされたりする恐れのないターゲットに過ぎない。日本を攻撃しても誰も危険な目に遭わない。実効的な反論や反発を一つもしない。実におとなしい。だから標的にするのである。


 彼らは「反日」「愛国無罪」を主張している限り、中国当局から寛大に扱われるだろう。中国政府が恐れているのは、若者が「反日」に向けている攻撃の矛先を自分たちに向けてくることだ。中国共産党が批判されれば、デモ参加者には断固たる処罰が下されるだろう。


 日本に対する強硬姿勢をどう受けとめるか。実は彼らは臆病なのかもしれない。そんな彼らを、私たちは過度に恐れる必要はないのかもしれない(脚注8)。


 対日強硬姿勢を示すのは中国だけではない。韓国も激しい。竹島問題や教科書などの歴史認識問題では日本国旗を焼き払い、官民挙げて「歴史歪曲」「妄言」と騒ぎ立てる。


 ところがその韓国も、こと中国に対しては日本に向けてするほど強硬姿勢は見せないようだ。良い例は朝鮮戦争に関する認識問題である(脚注9)。(つづく)




脚注


8)逆に、中国国内で本当に勇気があるのは、投獄を恐れずに政府を批判して民主化を提案する人々だろう。天安門で犠牲になった人々や今年のノーベル平和賞受賞者となった劉暁波(Liu Xiaobo)氏が該当するだろう。
9)http://sankei.jp.msn.com/world/china/101028/chn1010282054010-n1.htm
「朝鮮戦争で韓中対立、習近平発言に反発」
「中国の習近平国家副主席が最近、朝鮮戦争60周年の記念行事で『(あの戦争は)平和を守り侵略に立ち向かった正義の戦争』と発言したことに韓国が強く反発し、あらためて韓中の“歴史戦争”になっている。
 北朝鮮が中ソの支援の下で韓国に武力侵攻し、中国軍が介入した朝鮮戦争(1950−53年)をめぐって韓中には、以前から“歴史認識”の対立があった。韓国は当然、『中国の侵略』という立場だが、92年の国交正常化時を含め中国にことさら『謝罪と反省』を要求することはなく、うやむやにしてきた。韓国はまた、過去2回の南北首脳会談の機会も含め、北朝鮮に対しても『謝罪と反省』は求めていない。
 今回の習近平発言は25日、北京で行われた『中国人民支援軍抗米援朝戦争60周年』の行事で参戦老兵たちを前に行われた。韓国ではまずマスコミをはじめ世論が強く反発。政府も『(あの戦争は)北朝鮮の南侵で起きたというのは国際的に公認された歴史的事実』とし、中国に対し国連安保理常任理事国で、国際社会の責任ある国家としての努力を期待するとの論評を発表した。政府としては比較的穏やかな対応で、外交問題にする考えはないようだが、マスコミなど世論は中国の『侵略戦争居直り』という北朝鮮擁護の姿勢を印象付けるものとして、あらためて中国警戒論を強調している。とくに今回は、発言者が次期指導者に確定した習近平副主席だったため『中国の新指導者の歴史認識』として注目され、同じく後継者が明らかになった北朝鮮との“親密”ぶりと併せ今後を懸念する声になっている。
 一方、習近平発言が問題になった後、中国では、韓国への『反論』のかたちで人民日報や新華社に、戦争の発生と中国の軍事介入を分けて論じる学者の論文が紹介されたという(28日付の韓国各紙)。これは、戦争発生は南北の内戦だったとし、北朝鮮の責任を間接的に指摘する一方、中国軍参戦は反撃に転じた米韓軍が中朝国境に迫ったため中国の利益と安全を守るためで正当だった、という主張だ。しかし朝鮮戦争は初期の4カ月を除き北朝鮮側の主力は中国軍で、100万人規模の大兵力で介入し南北境界線を越えてソウルの南方まで侵攻している。韓国では今年、『あれは中国軍との戦いだった』とする回顧モノが目についた。
 中国との歴史認識の対立で韓国は、日本に対するのとは違っていつも腰が引けている。日本には官民挙げて『歴史歪(わい)曲(きょく)』『妄言』と大騒ぎし、すぐ外交問題になる。しかし中国に対しては今回、『歴史歪曲』や『妄言』の非難はない。」


(2728文字)






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i )過激な隣国と日本( III )本当の勇気?

本当の勇気? 2010.11.21


by OWL




本当の勇気?

 韓国併合から三十五年間で出した犠牲者の数に比べると、朝鮮戦争での犠牲者は圧倒的に多かった。いわゆる三・一独立運動での犠牲者の数は、朝鮮側の発表でも七五〇九人(脚注10)。朝鮮戦争での民間人の犠牲者は、百万人、二百万人、四百万人とも言われている。


 とりわけ、朝鮮戦争開始後、李承晩政府は共産主義者とその家族を二十万人も虐殺。韓国の韓 洪九氏ですら次のように書いている。「民間人の虐殺だけみれば、異民族支配下の虐殺にくらべ、同族内のアカ狩りの方が大規模ではるかに残酷だった」(脚注11)と。


図3 韓 洪九著「韓国現代史ー韓国とはどういう国か」

 戦争は北の南側への侵攻で始まった。四ヶ月後、中華人民共和国は義勇軍と称して百万人もの勢力を送った。しかし彼らは、南と米国が北側へ侵攻するところから戦争が始まったと主張。自分たちは北朝鮮側とともに侵略者に対して闘ったと歴史教科書に載せている。


 人数だけから言うと、最も多くの民間人犠牲者をもたらしたのは北側とその支援者中国である。次が李承晩政府。日本の朝鮮総督府は最も少数の犠牲者で平和な統治時代を築いた。


 しかるに、韓国が国を挙げて教育し宣伝するのは日本の朝鮮統治がどれほど残酷だったかということ。朝鮮戦争も結果として日本統治時代のせいで起こったと主張。ならば、北朝鮮と中国に対してはどのようなことを主張するのだろうか。


 韓国は歴史認識の違いを取り上げて「謝罪と反省」を要求したいところだが、中国との国交正常化時にうやむやにしてきた。中国共産党の次世代指導者、習近平氏が「(あの戦争は)平和を守り侵略に立ち向かった正義の戦争」と発言した。それを受けて韓国が反発したというのである(脚注9)。


 しかしその反発は、日本に対する強硬姿勢とは全く違うらしい。強面(こわもて)の態度に出る国に対しては「腰砕け」になるのだ。


 逆に、日本は強く出たりしない。反論らしい反論もしない。過去の贖罪観からか相手に対する配慮をまずするという国民性からなのか、何故か強い態度には出ない。韓国が日本に対して「腰砕け」とならない理由はそこにありそうである。


 要するに、中国の反日デモ参加者も、韓国の対日強硬論者も、「水に落ちた犬は叩け」(脚注12)という弱い者イジメの典型なのだ。中国でも韓国でも、対日強硬派がとっている戦略は一つである。いつまでも日本人に「贖罪意識」を抱いて(水に落ちて)いてもらうことである。


 強い側には腰砕けになり弱い者には徹底的に強く出る。そういった姿勢は日本人には全く理解できない。弱きを助け強きをくじく武士道の心が底流にある日本人から見ると、恥ずかしい勇気のない行動だと映る。


日本にいる同様な人々


 そう考えると、日本にも似たような人たちが存在する。中国や韓国に言うべきことを言わず、むしろ迎合するかのような発言を繰返すいわゆる知識人や一部のマスコミである。反対に彼らは、日本政府相手なら口をきわめて攻撃する。


 戦争に反対!日本政府は過去を清算して責任を果たせ!と言い、中国や韓国の反日歴史観にピッタリ当てはまることだけ言う我々日本人の一部である。


 ただ、私たちは決して迎合しているつもりはなく、日本の過去に対する贖罪意識で一杯いっぱい。そこから出発することだけが唯一の道だと信じているにすぎないのかもしれない。政府や「ウヨク」を叩くことが正義と思い込んでいるだけなのかもしれない。


 中国や韓国、ときに米国に向かって何かを言うと強く反論される。しかし、日本政府に対して何を言っても我々は全く害を受けない。安全である。


 今回の尖閣諸島の件でも、或いはたとい沖縄や対馬が狙われたとしても、罪悪感と贖罪意識でいっぱいの私たちは決して強い主張をしない(脚注13)。それどころか、「中国や韓国にも言うべきことは言う」という姿勢を、「右翼」「強硬派」と言い切る人々がいる。


 たとえば、次のような新聞が挙げられる。「中国には前原誠司外相を対中強硬派と見る人が少なくない。『前原はずし』を望む声も聞かれる」(脚注14)と、まるで中国側の言い分を代弁するかのようである(脚注15)。


図4 金谷 譲、林 思雲著「中国人と日本人ーホンネの対話」

 他方、以前から、中国が日本とは全く異質な国であるという「事実」を指摘する人々も存在する(脚注16)。「尖閣諸島」は大きな問題になると以前から警告してきた人々もいる(脚注17)。


 彼らは、どんなに中立的な立場の書き方をしようとしても一部から「右翼」「強硬派」と一刀両断にされる。「だから日本の平和が脅かされるのだ」と非難の対象になる。しかし、彼ら自身が国際秩序を破ろうとしているのではない。


 むしろ今回明らかになったのは、「私たちの態度いかんにかかわらず、日本の領土と資源を狙って国際社会の秩序を無視して横暴に振舞おうとする隣国が確かに存在する」という事実なのではないだろうか。


 最後にひと言。もっともっと言ってしまうと、ネット上で匿名の発言をする人々の存在も五十歩百歩であろう。彼らも本ブログ著者も、自分の意見を匿名で発表している限り、「勇気のない人々」の中に入ってしまうのかもしれない。これも事実。さてさてどうしましょう。(了)




脚注


9)http://sankei.jp.msn.com/world/china/101028/chn1010282054010-n1.htm
「朝鮮戦争で韓中対立、習近平発言に反発」
「中国の習近平国家副主席が最近、朝鮮戦争60周年の記念行事で『(あの戦争は)平和を守り侵略に立ち向かった正義の戦争』と発言したことに韓国が強く反発し、あらためて韓中の“歴史戦争”になっている。
 北朝鮮が中ソの支援の下で韓国に武力侵攻し、中国軍が介入した朝鮮戦争(1950−53年)をめぐって韓中には、以前から“歴史認識”の対立があった。韓国は当然、『中国の侵略』という立場だが、92年の国交正常化時を含め中国にことさら『謝罪と反省』を要求することはなく、うやむやにしてきた。韓国はまた、過去2回の南北首脳会談の機会も含め、北朝鮮に対しても『謝罪と反省』は求めていない。
 今回の習近平発言は25日、北京で行われた『中国人民支援軍抗米援朝戦争60周年』の行事で参戦老兵たちを前に行われた。韓国ではまずマスコミをはじめ世論が強く反発。政府も『(あの戦争は)北朝鮮の南侵で起きたというのは国際的に公認された歴史的事実』とし、中国に対し国連安保理常任理事国で、国際社会の責任ある国家としての努力を期待するとの論評を発表した。政府としては比較的穏やかな対応で、外交問題にする考えはないようだが、マスコミなど世論は中国の『侵略戦争居直り』という北朝鮮擁護の姿勢を印象付けるものとして、あらためて中国警戒論を強調している。とくに今回は、発言者が次期指導者に確定した習近平副主席だったため『中国の新指導者の歴史認識』として注目され、同じく後継者が明らかになった北朝鮮との“親密”ぶりと併せ今後を懸念する声になっている。
 一方、習近平発言が問題になった後、中国では、韓国への『反論』のかたちで人民日報や新華社に、戦争の発生と中国の軍事介入を分けて論じる学者の論文が紹介されたという(28日付の韓国各紙)。これは、戦争発生は南北の内戦だったとし、北朝鮮の責任を間接的に指摘する一方、中国軍参戦は反撃に転じた米韓軍が中朝国境に迫ったため中国の利益と安全を守るためで正当だった、という主張だ。しかし朝鮮戦争は初期の4カ月を除き北朝鮮側の主力は中国軍で、100万人規模の大兵力で介入し南北境界線を越えてソウルの南方まで侵攻している。韓国では今年、『あれは中国軍との戦いだった』とする回顧モノが目についた。
 中国との歴史認識の対立で韓国は、日本に対するのとは違っていつも腰が引けている。日本には官民挙げて『歴史歪(わい)曲(きょく)』『妄言』と大騒ぎし、すぐ外交問題になる。しかし中国に対しては今回、『歴史歪曲』や『妄言』の非難はない。」
10)朝鮮総督府の報告によると553人。7509人という数字は「朝鮮独立運動之血史」に基づく。ただ、その数字自体、著者が上海亡命中だったため、伝聞で報告を受けたものの累計なので信憑性は低いとも言われている。
11)韓 洪九「韓国現代史」高崎宗司監訳 平凡社、2003年。著者は左翼系の論者であるとされている。その左翼的な考えの持ち主から見ても、日本統治下に比べると韓国人どうしの殺し合いの方が「大規模ではるかに残酷だった」というわけである。
12)水に落ちた犬は叩け:「打落水狗」フェアプレイについての論争において、中国の有名作家である魯迅が当時の中国の状況に即して作った造語とされる。「水に落ちた犬でも、這いあがってくれば噛みつく。だから、上がってくる前に叩け」、現代風に言うと「相手の弱みはこちらの強み」との意味。魯迅は著作「阿Q正伝」の中で、主人公阿Qの「上の者には異様に媚びへつらい、下と見ると大言壮語して威張り散らすえげつなさと奴隷根性」を書いている。その「えげつなさと奴隷根性」が現代人の中にも染み付いている、というワケである。
13)私たちは贖罪意識の中で思考停止に陥っている。戦争責任を問うのは大事である。しかし思考停止はいただけない。贖罪意識に反することは一切受け付けないというのはいかがなものだろう。バランスを欠いているのではないか。そういった態度を今後もずっと保ち続けるのかどうか。私たちは、違う考えの人々と対話をする姿勢が取れるのかどうか。そこを注視したい。
14)朝日新聞、社説、2010年10月31日。
15)もっとも、その新聞は中国や韓国、北朝鮮などに不利になるようなことは書かないことで以前から有名だ。中国漁船の体当たり映像動画の流出問題でも、識者の意見として載せているのは、動画流出にかかわった人が逮捕され起訴されるのは当然であるという内容のものが多い。中国側に真実を示して正論を言うべきだという意見はあまり掲載していない。どういう世論を形成したいのか、その意図は明白にうかがえそうだ。
16)金谷 譲、林 思雲「中国人と日本人、ホンネの対話」日中出版、2005年。
17)櫻井よしこ「異形の大国 中国—彼らに心を許してはならない」新潮社、2008年。


(4188文字)





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ii )物の理(ことわり)( I )理性の通じない国

理性の通じない国 2010.11.28


by OWL




理性の通じない国

 事件が起こると私たちはまず真実を明らかにしようとする。何が起こったか分からない段階では、断定を避け相手に配慮した態度をとるよう努める。真実を突きつけられると私たち日本人はたいてい反論しない。いわば真実の前に沈黙し真実を尊重する。


 実証できることに基盤を置く。実証主義的スタンスの一つの現れである。日本人も欧米人も、科学といえばほぼ自動的に自然科学、物理や数学、実証可能な思考のことをさす。


 しかし、世界にはそういった考えをしない人たちがいる。端的に言おう。儒教に縛られた国の人々のことだ。


物の理(ことわり)を理解しない人々


 国家基本問題研究所というシンクタンク客員研究員の金谷譲(かなやじょう)氏が解く。中国人はそもそも、古代から現在まで「物の理(ことわり)」を理解できない人々だ、と。そう中国人の思考の特徴を分析して言っている。


 「理(ことわり)」が通じないので、「理(ことわり)」によって外交問題を処理しようとする日本や欧米諸国と往々にして摩擦を起こしがちだという(脚注1、脚注2)。


 金谷氏は続ける。中国には科学的で民主的な思考が根付いていない。それは、彼らの思考の中で「倫理」と「物理」が基本的に未分化だからだ、と。仮説を立てて推論し、それを実験によって検証するという自然科学的思考様式が彼らの中に存在しないのだという。


 中国歴代王朝下の伝統的な思想は「儒教」だった。儒教では、人間は倫理的行動によって自然法則を左右できると考えるらしい。そのため、結果よりも心情倫理を重視するスタイルの思考が生まれるという。


 動機が善なら結果にかかわらずその行為は讃えられる。動機が悪なら結果が良くても全く評価できないという考えである。好例が二〇〇五年の反日デモで若者たちによって唱えられた「愛国無罪」だ。


 正義は中国にある。中国人は正しい。何をしても良い。他方、日本は本質的に野蛮で軍国主義の民族だ。それゆえ日本人がやることはすべて悪である。そういう考えから「愛国無罪」と叫び、投石、暴動、暴行を繰返したのだ。


 二〇一〇年のノーベル平和賞受賞が決まった劉暁波氏も同様のことを語っている(脚注3)。「中国の『実用理性』と西洋の実用精神にはなんの共通点もない」


図1 二〇一〇年のノーベル平和賞受賞が決まった劉暁波氏

 西洋の理(ことわり)は、「事実」だけを「真理の検証の基準」としている。その際「ただ真実であるか否か」を問うだけだ、と。


 西洋の実用理性では、「政治的利益と道徳的善悪」は決して問わない。「真実が宗教的タブーや権威の意志」に反するとき、「真実が政治的権力や道徳規範および社会常識」と衝突するときどうするか。「実証主義の精神は真実だけに従う」と、劉氏は表現している。


 西洋の「理(ことわり)」ならば「真実」にだけ従うのである。しかし、中国の「実用理性」は、西洋の「理(ことわり)」とは全く逆に、事実や真実と向き合うことを最も嫌う。「ただ政治権力と道徳規範だけに従う」という特徴を持っている。そのように劉氏は書く。


 中国人にとって「事実」は問題ではない。実はどうでも良いことなのだ。彼らが主張すること、それこそが彼らにとっての「事実」である。主張と現実が異なれば、主張に合わせて現実を変えようとする。それが儒教国家として長く脈々と受け継いで来た考え方と態度だ。


 彼らは日本人の言うことに聞く耳を全く持たない。海上保安庁の船に体当たりをしたのは中国の漁船だと言っても、違う理屈を述べて自分の非を絶対に認めない。悪いのは日本だ。その一点張り。動画を見せられても何の動揺もしない(脚注4)。


「そもそも尖閣諸島は中国の領土だ。東シナ海は中国の海だ。尖閣周辺の中国の領海内で日本の海上保安庁の船が中国の漁船を取り囲んだ。日本側が衝突事件を引き起こした。すべての責任は日本側にある。」中国は事実をねじ曲げて強硬な主張を繰返す。


 要するに話が通じない。自己中心的で独善的な中華思想。倫理的に見ても他国の人々からは絶対に理解できない。彼らを話合いで納得させること自体が不可能に見える。最初の段階から映像を公開して証拠を突きつけ、事実を国際社会にハッキリと知らせるべきだったのだ。(つづく)




脚注


1)金谷譲「中国ではなぜ”科学的&民主的”思考が根付かないのか~日中の”理”概念の違いから見る」in「中国はなぜ『軍拡』『膨張』『恫喝』をやめないのか」文藝春秋、2010年。
2)「理(ことわり)」が通じないという事実は、科学でオリジナリティーの高い研究ができないことに繋がるだろう。北村 豊「中国人はどうしてノーベル賞を取れないのか?」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20101013/216628/?P=1
北村氏ではないが、何千年もの儒教精神が染み付き、民主主義のない国からは、ノーベル賞受賞者が今後も生まれない、と断言(予想)している人もいる。
3)劉暁波「現代中国知識人批判」野沢俊敬訳、徳間書店、1992年。
4)中国に配慮して映像を公開しないというのは全くナンセンスである。映像を見て「私たちが悪うございました」と非を認めることはない。「メンツを潰された」と映像を公開されたことを恨みに思うこともない。動じた様子を外部に見せることは全くない。逆に、はっきりとしたことを自己主張せず映像も早期に公開しなかったことについて、向こう(日本)に何かやましいことがあったからに違いないと指摘するだけである。そして堂々と日本の非と不法を主張し責め立てる。そもそもそこは元々自分たちの領土だ。だから体当たりをしても、される日本の船の方が悪い、と。こうして、相手が悪いという印象を周辺国に与え、徹底して状況(現実)を自分に有利な方向に持って行こうとする。それだけである。




(2391文字)






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ii )物の理(ことわり)( II )蛇の如く鳩の如く

蛇の如く鳩の如く 2010.12.10


by OWL




蛇の如く鳩の如く

襲撃・虐殺は賞賛の行為


 日本に対し「『真実』を書け!」と主張してやまない中国人であるが、自国の歴史をどう教えているか?「真実」より「主張」の方を「事実」と評価している。その例には枚挙にいとまがない。一例を挙げよう。一九〇〇年の義和団事件(北清事変、脚注5)である。


 もともと義和団は、義和拳という拳法を習得して神が乗りうつれば、刀はおろか銃弾すら跳ね返すような不死身になると主張するカルト集団だった。十八世紀末、山東省で勢力を拡大し、「打富済貧」「反清復明」を叫んでいた(脚注6)。


 その頃、日清戦争後(脚注7、一八九四〜一八九五年)に三国干渉(脚注8、一八九五年)があり、山東省がドイツの勢力内に入り外国人の活動が活発化する。すると義和団はキリスト教会を目の仇とするようになり、教会や外国人への襲撃を繰返した。


図2 義和団の兵士たち

 外国の宗教への反発の他、外国資本による交通通信手段の発達により従来の職を奪われた失業者たちの怨念も加わっていたという。「義和団は社会秩序に反するグループである」として、当初、清国政府は義和団に弾圧を加えていた。


 やがて義和団の排外活動は華北一帯に波及し、二百人以上の白人宣教師やその子ども約五十人、中国人キリスト教徒二万人が虐殺された。その頃、義和団のスローガンは「扶清滅洋」「興清滅洋」に変化していた(脚注9)。


 当初、清打倒が目標だった。それが、西洋を滅ぼし追い出そうという激しい排外運動となっていった。ついに、山東省だけでなく北京や天津などにいる列強の外交官や居留民が義和団に包囲されるに至った。


 英米独仏露伊墺日の八カ国聯合が軍隊を送って居留民を保護しようとした。それに対し清は、この機会を利用して外国勢力を駆逐しようと八カ国に宣戦布告した。


 政府打倒を叫んでいた違法集団が排外運動に舵を切ったとたん、清国政府はこれに便乗したのである。全くもってご都合主義である。しかし清は二ヶ月ほどでこの戦いに手痛い敗北を喫する。北京議定書に調印し、莫大な賠償金を支払うハメになる(脚注10)。


 現代の中国では、義和団の乱を反帝国主義の愛国闘争と評価している。八カ国聯合の騒擾鎮圧行為を一方的に非難。しかし考えてしまう。当時であっても、合法的に権益を獲得して居留していた無抵抗の人々を襲撃し虐殺することが、賞賛に値する行為である筈はない。


 義和団によって乱れた秩序を、警察機能を失っていた清国政府の代わりに八カ国聯合が回復した。日本を含む外国の軍隊が平和をもたらしたという側面があった。


 しかし、中国人にとっては、義和団が残虐な襲撃や惨殺を繰返していた集団であって、自国政府もご都合主義で愚かだったという「真実」などはどうでもよいこと。外国を排斥する「目的」のためなら、どんな手法でも構わないという「主張」の方が重いのである。


 その主張が、“素晴らしい称賛に価する歴史的な「事実」”として子どもたちに教育されていく。自分たちの目的達成のためならどんな残虐なことさえも許容される。そういう確信を中国で教育された人々は抱くようになる。何の不思議もない。


誠実さは侮りの対象となる


 もう一つ注目したいことがある。外国軍による義和団事件の鎮圧と治安維持における出来事とその後の中国人の反応である。もう少し詳しく経緯を記す。


 北京にも動乱が波及拡大しはじめた頃、義和団による破壊活動で北京と天津との交通が遮断された。各国居留民は北京の公使館がある区域に篭城を余儀なくされた(脚注11)。


 一九〇〇年六月十九日、清国政府は篭城を開始した人々に要求した。「中国の全国民は激昂しており、各国人を保護できない。二十四時間以内に天津に退去せよ」と。しかし、城外はすでに無法地帯となっていた。退去は不可能だった。そのため居留民は要求を拒否する。


 そこで清の軍隊は公使館のある区域に攻撃を開始した。世界に対する宣戦布告である。塘沽(脚注12)沖の軍艦から居留民保護のために上陸し天津、北京に向かって進軍していた英米独仏露伊墺日の八カ国聯合との間に戦いが起こった。


 この戦いは聯合軍の勝利に終わったが、各国居留民が北京公使館区域の篭城から解放されたのは八月十四日。およそ二ヶ月を要した。各国は分担して城内を警備し治安の維持を受け持った。


 中国軍の兵隊たちは、各軍閥の各グループが匪族(兵匪)となって、同じ中国国民に対して殺人、略奪、婦女暴行を働いた。義和団も襲撃と略奪、暴行を行う匪族に等しかった。聯合軍は、それらを取り締まり治安確保に努める必要があった。


 しかし、聯合軍の一部による匪族の取り締まりは手ぬるかった。それどころか、各国の軍隊も略奪に加わる始末。特にひどかったのがロシア軍とドイツ軍。独露の警備区域では、毎日のように殺人、略奪、強姦が頻発し、自殺者も出現。「地獄だった」とまで言われている(脚注13〜14)。


 他方、日本軍の占領区では匪族、兵匪の略奪が起こらなかった。生命の保護が保たれ、治安が維持され、住民も救済されていた。当時の日本軍は柴 五郎中佐が率いていて軍紀厳しく、日本軍が略奪を働くことはなかった。北京市民は保護を求めて日本軍占領区に殺到したという(脚注15)。


図3 義和団の乱で日本軍を率いた柴 五郎中佐

 篭城戦は苛酷で中国人クリスチャンたちの協力なくしては成功しなかったとも言われる。しかし、北清事変終結後、そのキリスト者たちは「外国に協力した漢奸」として迫害に遭う危険性が高かった。そのため一緒に戦った各国居留民らはそのことを公にすることを控えていた(脚注5)。


 残念なことに、一部の強硬な中国人は排外的な張り紙を日本軍占領地域に貼り始めた。他の地区では簡単には貼れないのに、治安の守られた日本軍警備区域だけは貼ることができた。「『やさしさ=弱さ』と判断する中国人は、日本人に不満をぶつけ始めた」という(脚注16)。


 義和団事件は帝国主義と戦う民衆の蜂起であると中国では教えている。だが、外国人すべてが「悪」だったわけではない。


 外国の介入を招いたのは、もともと義和団の襲撃と虐殺という「悪」が原因だった。中国人も被害に遭って苦しむ良民の他に、無法者で残虐な連中もいた。匪族の仲間となった者も多かった。自分たちに都合の良いことも悪いこともある。そのどちらも「真実」である。


 ところが、柴 五郎中佐や日本軍が誠実に行動したという「真実」や、中国人が同じ中国人を略奪、暴行、虐殺したという「真実」は、多くの中国人にとっては重要なことではない。


 「誠実さ」「やさしさ」「人道的な協力精神」は、相手が外国人であれ自国民であれほとんど評価の対象とならない。中国人の間では、そういった「徳」を示す人々は、却って「侮り」の対象となるか、「漢奸」として迫害すべき対象となるかである。


 外国人は「悪」だ。だから、外国を排斥するという「目的」のためなら、自分たちのどんな残虐さも正当化される。そういう「主張」が、素晴らしく賞賛に価する歴史的な「事実」としていつまでも語り告げられるのだ。


真実をどう見るか


 「真実」をありのままに見つめられない。バランスよく見る力がない。良いことも悪いこともあるという両面から見ることができない。「理(ことわり)」を理解しない一方的な態度。中国を始めとする儒教に縛られ続けた国々に住む人々の残念な側面を見てきた。


 他方、日本人にも欧米人にも残念ながら「アンバランス」な見方しかできない人々がいる。もちろんこの自分も含めてである。


 バランスを大きく欠いた考えには徹底的な抵抗を試みたい。事実をねじ曲げ強硬な姿勢で主張し攻撃してくる邪悪な力に屈したくはない。「理(ことわり)」を理解しない主張に対しては「蛇のようにさとく」ありたい。


 反対に、自分に都合が悪く相手にとって都合の良いことであっても、「真実」に対しては「鳩のように素直」でありたい。


 そして、「鳩」と「蛇」のバランスを適切にとっていきたい(脚注17)。柔軟なスタンスをとり続けたい。そう切実に願う。


(了)




脚注


5)http://ja.wikipedia.org/wiki/義和団の乱。
6)打富済貧、反清復明:金持ちを打って貧しい人々を救う。満州人の清を打倒し漢人の明を復活させる、というもの。
7)http://ja.wikipedia.org/wiki/日清戦争。
8)http://ja.wikipedia.org/wiki/三国干渉。
9)扶清滅洋:清を助け西洋を滅ぼす、という意味。
10)http://ja.wikipedia.org/wiki/北京議定書。
11)各地から逃れてきた中国人キリスト教徒三千人も匿われたという。
12)塘沽:とうこ、たんくー:天津市にかつて設置された市轄区、華北地区の重要港湾である天津港がその中に含まれていた。
13)セルゲイ・ウィッテ著「日露戦争と露西亜革命 ウィッテ伯回想記」大竹博吉訳、ロシア問題研究所、1930年。
14)ドイツは北清事変の最中に公使が殺害されている。ドイツ警備地区での軍の狼藉は公使殺害の報復に燃えていたためと言われる。
15)http://ja.wikipedia.org/wiki/柴五郎、柴 五郎中佐は北京市の良民からだけでなく各国の指揮官、外交官、記者からも賞賛され、一九〇二年日英同盟の影の立役者とも言われるほどの活躍をした。
16)黄 文雄著「日中戦争真実の歴史」徳間書店、2005年。
17)「蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなさい」マタイ10章16節、新改訳聖書、日本聖書図書刊行会。




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iii )日本はファシズムの国だったか

日本はファシズムの国だったか 2013.6.5


by OWL




日本はファシズムの国だったか?

 隣国は「日本が反ファシズム戦争勝利の成果を否定し、戦後秩序を覆そうとしている」と非難する。尖閣問題に端を発した中国側の執拗な日本攻撃だ。


中国のプロパガンダ、宣伝戦


 そもそも尖閣諸島は隣国の関心の中になかった。東シナ海に石油・天然ガスが埋蔵されているとわかって初めて、一九七一年に領有を主張し始める。


 日中国交回復の頃、鄧小平はいわゆる「棚上げ論」を主張した。だが、一九九二年二月、隣国は領海法を制定して「棚上げ論」を自ら放棄。二〇一〇年の中国漁船の日本海上保安庁巡視船への体当たりが起こり、民主党政権による媚中・屈辱外交が続く。


 業を煮やした石原慎太郎都知事(当時)が、二〇一二年、尖閣諸島を所有者から都として購入すると表明。慌てた民主党政権は、同年九月、尖閣諸島国有化を進めた。隣国と波風を立てないためだ。


 ところが、国有化に端を発した反日暴動の嵐が、同年九〜十月、中国全土に吹き荒れる。隣国政府は「すべての責任は日本政府にある」と暴力を容認。現代のまともな主権国家とは思えない残忍な振る舞いに世界が震撼した。


 日本政府による尖閣諸島国有化を、中国は「戦後秩序に対する著しい挑戦」と位置づけ、日本を攻撃し始めた。「戦勝国」米中露が手をくみ倒した「ファシスト」が再侵略に動き始めたと国際社会に訴えているのだ。


ファシズムとは何か?


 そもそもファシズムとは何か?基本は一国一党である。国家の政府機関よりも党が上位に来る。伊のファシスト党、独のナチスを念頭においている用語だ。


 一党独裁、すなわち他の政党の存在を認めない共産主義国家もファシズムの国である。かつてのソ連、現在の中国人民共和国や北朝鮮も該当する。いま現在もファシズムの国、それが隣国の姿なのである。


 日本はどうか?現在の日本が一国一党と信じている人はいない。民主主義の国だ。かつても、一国一党になったことはない。憲法も議会も敗戦まで健在だった。何と総選挙がずっと行われていた。全政党が解散したことは確かだが、一国ゼロ党になったというのが正解。


軍国主義とは何か?


 軍国主義とは国策の最優先事項に軍事を据えることだ。国家を至上とする国家主義を前提としている。国家より独裁政党が優先するファシズム下での軍国主義という表現などは、語義矛盾と言って差し支えない。


 倉山満氏は「当時の日本を軍国主義と呼ぶのも褒めすぎです」と述べる。日本は「政党政治の崩壊以降、誰も国策をまとめられなかったからこそ、満洲事変でも迷走したのです。


 むしろ元寇や日清・日露戦争の頃の方が正しい意味での軍国主義でしょう。昭和日本の悲劇は、軍国主義に走ったことではなく、軍国主義になれなかったことです。


 ソ連のスターリンやドイツのヒトラーは言うに及ばず、民主国のはずのアメリカでもF・ルーズベルトが死ぬまで大統領でした。イギリスも第二次世界大戦が勃発した一九三九年からは政争を中止し、ウィンストン・チャーチルが首相として挙国一致内閣を率いています。


 日本だけはこの十三年間に十三代の内閣で十一人の総理大臣が交代しています。英米ですら独裁者に匹敵する指導者を選んで戦争を行おうとしている時代に、日本政治は不まじめすぎたというべきです」と続けている。


当時の世界と日本


 当時、世界は三つの陣営に分かれていた。英米など憲法を奉じる自由主義国、独伊など民族主義を鼓吹するファシズムの国、ソ連という共産主義を拡げようとするファシズムの国の三つである。


 倉山氏によると、日本は三つ巴だった。自由主義を擁護しようとする勢力、独にシンパシーを持つ勢力、共産化しようとする勢力が争い、どの勢力も決定的な権力を握れず、内政と外交が複雑に絡み合っていた、と。


 よく「第二次世界大戦はファシズム国に対する英米流民主主義の勝利だ」などと評される。ソ連や中国大陸は民主主義の国だったか?どちらも選挙など行われていない。スターリンは何千万という自国民を殺している。毛沢東も蒋介石も粛清を行った。


 ソ連は前述のとおり独裁主義、ファシズムの国だった。中国大陸は四分五裂していて、それぞれが軍閥独裁といったところ。大した民主主義勢力である。「単純な日本悪玉論では何も説明できない」という。


わが国はどうすべきか?


 日本はファシズムの国ではなかった。第二次大戦はファシズム国に対する英米流民主主義の勝利だなどという表現はプロパガンダに過ぎない。実際に日本がファシズムの国であったかどうかは関係ない。連合国側としては、そのイメージが世界中に定着すれば良いのだ。


 日本は、名目上ではあってもファシズムの独伊と組んでしまった。特にホロコーストを行った独ナチスである。ナチスのような残虐なことなどしていないのに、同じとみなされてしまった。これもイメージ戦争としては効果抜群である。


「日本が反ファシズム戦争勝利の成果を否定し、戦後秩序を覆そうとしている」という非難も、中国お得意の「プロパガンダ」「宣伝戦」だ。日本にファシストが復活していようがいなかろうが関係ない。宣伝文句を連呼し国際世論を煽る。


 狙いは日米の分断と日本の孤立である。我々はどうすべきか?中国の宣伝戦に打ち克とうとするのか?それとも日本に尖閣諸島の領有を主張する権利などない!と、隣国と手を携えて日本国政府、保守勢力、多くの一般国民を攻撃するか?


(2173文字)






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