さてどうしましょう:
What Should We Do Now?
日本と世界の歴史散策





織田信長がヴァリニャーノに贈った屏風図の再現(近江八幡市安土町城郭資料館)



千字でたどる日本の教会史

 日本での福音宣教は五百年近くの歴史がある。これまで大きな努力が払われてきた。尊い犠牲者も多数出した。しかし必ずしも成功したとはいえない。もっとはっきり言えば、世界に例を見ないほどの失敗例だった。かつて日本では、キリシタンの世紀と言われる百年の間に、キリスト教信仰は静かな拡がりを見せるに至った。だがその痕跡は明確な意志のもとに消し去られた。人々の心に「外国、欧米の宗教」という印象を残し、キリスト教は日本人とは関わりのないものという意識を強く、強く植え付けた。


 何故そうなったのか。キリシタンの世紀の頃、キリスト教が人々に根付きはじめた要因は何だったのか。その後、何故、日本人はこれほどまで信仰に無関心になり、信仰を有害と考えるようにまでなったのか。私たちは、そもそも日本の教会の歴史そのものを、どれほど知っているのだろう。現代の宣教に対する教訓が、どこかしらに隠されているのではないか。あらためて、福音を日本に文脈化していくヒントを探せないだろうか。それら教訓、ヒントを、何らかの形で解き明かしてゆく作業には、幾ばくかの意義があるだろう。


 当サイトの他の箇所と同様、ここでも、常識となっていることをまず疑い、日本史や世界史全体に照らして、少し深く掘り下げよう。伝統的な聖書観に立ちながら、これまで当たり前と思われていた歴史観、世界観をわずかでも揺り動かせないものか。その呻きの一端を紹介したい。






ザビエルから織豊時代まで


初めての迫害から高札撤去まで

近世三百年編

ザビエル来日から、キリシタンの世紀と呼ばれるほど成功をおさめた栄光の歴史、史上まれにみる迫害と潜伏を経て、キリシタン禁令の高札が撤去されるまでを、六十数回にわたって書きつづっていく。





開国・明治維新後から現代まで

近現代百七十年編

明治維新前後から現代にいたるまでの日本の教会史を、左と同様にまとめていく。本編の公開は近世三百年編の完結後。準備中。